平忠正関連エントリー

新・平家物語 ~ほげんの巻~

... 弟(頼長)と兄(忠通) ◆叔父(平忠正)と甥(平清盛) ◆父(六条為義)、弟たち(源為朝 他)と兄(源義朝) 吉川英治曰く ... 反乱軍に属していた平忠正は血縁の清盛によって処断され、六条為義も長男である源義朝によっ ...

新・平家物語 ~ほげんの巻~

源為朝・琉球王伝説

... 崇徳上皇側には父のほか、左大臣・ 藤原頼長 と 平忠正 らがいます。 対する後白河天皇チームには、為朝の兄つまり為義の息子・ 義朝 と、藤原頼長の兄で関白の 藤原忠通 と平忠正の甥である 平清盛 。 乱が勃発する何日か前から ...

源為朝・琉球王伝説

07 院政と源平(Y=平清盛 その2) 初の武家政権の成立と遷 ...

... 叔父の平忠正は崇徳上皇方です。源氏も源為義は上皇方、子の源義朝は天皇方と、一族内で分裂した。7月2日、鳥羽法皇が死去した直後、ついに戦いの火の手が上がります。 10日、崇徳上皇らが立てこもる白河殿に源義朝・平清盛ら天皇方が夜討ちをかけ ...

07 院政と源平(Y=平清盛 その2) 初の武家政権の成立と遷 ...

保元の乱と平治の乱

... 合戦は 後白河天皇側の大勝利 に終わり、 藤原頼長 は戦死、 源為義・平忠正 は処刑され 崇徳上皇 も讃岐へ流されるという結果になった。 また、 佐々木氏 が佐々木荘での優位を得、庇護者を失った本佐々木氏は 平清盛 に仕えることに。 ...

保元の乱と平治の乱

二派に分裂した朝廷・源平 (保元の乱、平治の乱)4

... 「鳥羽院」より勘当されていた「平清盛」の叔父「平忠正(たいらの・ただまさ)」、大和源氏、興福寺の僧…などを味方として計算。 ... 「藤原頼長」ほか「源為義」、「平忠正」などの 小勢だけでした 。 まず、近畿の主だった武士たちは先の崩御 ...

二派に分裂した朝廷・源平 (保元の乱、平治の乱)4

平忠正とは?

平 忠正(たいらのただまさ、生年不詳 - 保元元年7月28日 (旧暦) 7月28日(1156年8月15日))は平安時代末期の武将。平正盛の子、平忠盛 忠盛の弟。右馬助。
兄の忠盛やその子平清盛 清盛とは早くから不和であったと伝わる。藤原頼長に親しく仕えた縁により、保元の乱では崇徳上皇方に与して清盛と戦う。忠正は源為義と並ぶ上皇方の重鎮として活躍するが、武運つたなく敗北。しばらくの潜伏の後、長盛・忠綱・正綱・通正の四子とともに自首し、囚われの身となる。そして甥の清盛に預けられるが、さしたる助命嘆願もなく親子五人並んであっさりと処刑されてしまった。
これは一説に、源氏の勢力減退を目論む清盛が、自分が進んで叔父の忠正を処刑することで、同じく罪人となった源為義をその子源義朝 義朝が斬らざるを得ないよう仕向けるための作戦だったといわれている。

平忠正の詳細